二十日鼠と人間~孤独について~

 

2018年の観劇は2018年のうちに…!ということで、もう観劇から1か月もたってしまった二十日鼠と人間、東京と大阪1公演ずつ見てきました。記憶も薄れてきていますがとてもいい舞台だったので必死に思い出して記録しておく―!

 

 初めてのグローブ座、狭くて見やすくて、後ろの方だったけどど真ん中だったので舞台全体がとてもよく見えた。双眼鏡は登録が面倒でもっていかなかったw

 

結論から言うと、本当に見られてよかった。

 

移動時間に原作を読んだが、決して明るい話ではない。

そして、舞台のストーリーも原作に忠実だった。

 

幕間も併せて約3時間、そう場面が変わるわけでもなく歌や踊りがあるわけでもない。登場人物もそう多くはない。カリフォルニアの農場での話が淡々と進む。

それでも、少しも飽きることがなかった。目が離せなかった。無駄なセリフが一つもなかった。すべてがあの終末に向かっていた。

 

冒頭のジョージとレニーのシーン、ジョージ健くんがいきなりレニーに対してキレッキレでびっくりした。(これは大阪だとまた印象が違ってやわらかい印象になってた)

レニーに対しても、本を読んでたらそこまでは感じなかったけど、やっぱり動きがつくのは強烈で、章平さんはすごく上手だった。

ジョージの演技については、レニーに対してあたりが強すぎるって感想も見たけど、いやあのレニーとずっと一緒にいて怒らずにいられるほど人間出来てないですわ私…という感想だったので、むしろジョージに対しては共感できた。

健くん喉が強い方じゃないから、そこだけはめちゃくちゃ心配になった…ラヂオ聞いたら筆談してたみたいで、どうか健くん無事に…とそればかり思ってた。(無事に終わってよかった)

それにしてもあんなに感情の熱量のすごい舞台を毎日、下手したら1日2公演もする健くんなんなのすごい…

 

 

ジョージとレニー

ただ、じゃあなんで迷惑をかけられたり怒鳴り散らしたりしながらもジョージがレニーと一緒にいるのかっていうと、ジョージにとってレニーが代わりのいない存在だったからなんだろうな、というのはすごく感じた。(健くんはそんな二人の関係を「共依存」と言っていた。)

ジョージは頭の回転も速く、自分一人で暮らしていくのには十分な「生きる力」がある。でも、天涯孤独で、その孤独を乗り越えて一人で生きていくことができなかった。一緒に生きていく人が必要だった。それがレニーだったんだというのは、舞台を見ててもすごく伝わってきた。

レニーは、わかりやすくジョージのフォローがないと働けず生きていくことができない。ただ、原作ではもうすこしレニーはずるい。ジョージとのけんかで、わざと弱みを突いて優位に立とうとする場面があった。おばさんの幻影に痛いところを突かれて苦しむモノローグもあった。でも、舞台のレニーはそういう面はほぼなくて、純粋で無邪気な面が強調されていた。より愛らしいキャラクターになっていた。

だからこそ、最後の悲劇的な結末が際立つんだけど、レニーは自分たちの幸せな夢を思い浮かべながら最後まで笑顔だったことを考えると、レニーをメインに考えるとそう悲劇ではないのかもしれないと思った。

レニーがもしここで死ななかったとして、捕まって、リンチにかけられたり、閉じ込められたりすることは、レニーにとって大きな大きな苦しみになる。(罪はもちろん償わなきゃいけないけど…カーリーとその妻の立場は…とも思うけど)

だからきっと、ジョージと二人で幸せな会話をしたまま生涯を終えられたことでレニーは救われたんじゃないだろうか。

この辺はもちろん、キャンディの犬が対比して存在していて、ジョージはキャンディの後悔を聞いてたからこその決断だったんだろうなとも思ったり。同じ銃によって最期を迎えるキャンディの犬とレニーについては考えさせられるものがあった。

 

ジョージと「孤独」

クルックスが、原作で「人間には仲間が必要だーそばにいる仲間が」っていってて、舞台でもそんな意味の台詞があったんだけど、とくにジョージにとってはこのセリフがすべてだったのかなと思いながら観ていた。

原作では、レニーを撃った後、スリムとの会話が最後にある。心の痛みや苦しみを理解してくれるスリムがいることがジョージにとっての一つ救いなのかなとも思えたんだけど、舞台ではそこもなくて。

だからレニーにとっては救いだったけど、舞台のジョージにとっては、かけがえのないものを自分自身の手によって失い、その後の世界を独り絶望の中で生きていかなくてはいけない、という紛れもない悲劇なんだよなあ。そこに「レニーを救った」という感情は持てないんだろうな。

全部読んで結末は分かってたのに号泣だった。ハンカチ用意しといて本当によかった。レニーを撃つ前の健くんの表情は、もうジョージの感じている痛みがすべてこちら側に突き刺さってくるかのような迫真の演技で、それを感じながらさらに泣いてた。

舞台のジョージはその後の世界をどう生きていったんだろう。なにか生きる希望を見いだせたんだろうか。

 

カーリーの妻

名前ですら呼んでもらえない時点で、当時の女性蔑視の状況がわかる…。

原作と大きくイメージが違ったのはレニーと並んでカーリーの妻。

原作ではさらにきつくて差別はするし権力を振りかざすし「嫌な女」感がすごかったけど、舞台ではとにかく「孤独」を感じている、「話し相手がほしいだけ」の女性として描かれていて、だいぶんマイルドになってた。(この辺は役者さんによるところも大きそう、花乃まりあさんがすごく魅力的だった)

レニーは決して否定しないから、カーリーの妻は抑圧されてた気持ちを開放してレニーにあれだけ語ったんだろうなあ。カーリーの妻もレニーの話はきちんとレニーの方を向いて聞いてあげてたのは意外だったし、きつい言葉はかけてなかった。

でもレニーとそれぞれの夢の話をしているとき、二人とも夢中で語ってるのに全然かみ合ってないのが狂気を感じた…こわい…その後の展開を予見してるようでよけいこわかった…

 

スリム

まず姜暢雄さんめちゃくちゃスタイルいいのな…あしながすぎ…

スリムは賢い人間として描かれてたし、人間関係の中にいて重要な判断を任されたり(キャンディの犬の処遇、カーリーの怪我の口止め)もしてるんだけど、どこか登場人物の輪の外から見ているような、そんな冷静さ(というか冷酷さ)を感じた。

「あんたがここのキリストか?」ってジョージの台詞じゃないけど、他の人たちとはちょっと違う印象。

舞台スリムは、すべてが終わった後ジョージを飲みにつれ出してくれるんだろうか。

 

クルックス

黒人というだけで差別されているクルックスは、「孤独」に対して登場人物の中で明確に言及するセリフがいくつもあった。クルックスは読書家で、スリムとはまた違って、物事をたくさん知っているという賢さの描写だった。

そんなクルックスも、レニーは部屋に入れたし自分の身の上話までしちゃう。「聞いてくれる存在がいるだけでいい」だったっけ、レニーって、そういう存在だったのかな。

聞いてくれるだけでいいっていうのはすごくわかる…

 

 

 

 

本当に、「人間とは…」「生きるとは…」「孤独とは…」って色々考えさせられる舞台でした。いい舞台を見た後は疲れるw

こんなにテーマの重い作品なのにグッズがアクスタなのも最高でした。まさか自担のアクスタを手にする日が来るなんて。かわいいしかっこいいし。

2018年今年もたーーーーーーっくさん健くんに幸せをもらったなあ。

来年はもう羅生門が控えてて、楽しみが待ってるのも最高!

羅生門も、高校時代に現代文で習って以来だから、3月までに予習しとかなきゃ!下人と老婆の印象しかないんだけど!笑